山とコード

「自然」と「人工」がベストに混ざりあった生活を探るブログ。

暇をたたきつぶせ、というキャッチコピー

新宿駅の近くで見かけたトラック型の広告。

違うコピーだったかもしれないが、ニュアンスはそんな感じだった。

 

おそらくスマホゲームの宣伝だと思う。

目にとまったくらいだから、引きのあるコピーなんだろう。

だけど非常に不快に感じた。

 

なぜだろう?理由を考えてみたい。

①暇を悪者にしているところ

②「叩きつぶす」と能動的でかっこよさげなコピーだが、

 実体はスマホゲーム会社による、時間と金の搾取であること。

スマホゲームで暇をつぶしたところで、

 その人に何も生産的な経験が残らないこと

 

①に関しては、何もしない時間が好きな人間としては、

それを否定する思想なので不快に感じている。

③は、生産性がなによりも大切だと思ってるわけではないけれど、

短いスパンの快楽刺激で暇をつぶすことへの嫌悪感が強いんだと思う。

別にそんな無理して刺激を与え続けなくても・・と思う。

 

もちろん何も考えたくない状況はあるし、それに対してゲームは有効だろう。

単純なゲームをすることで脳を空っぽにし続けられることはある。

歌えなくなってしまった歌手が、ゲームをし続けることで、

心の疲労を癒し再び歌えるようになったというエピソードを聞いたこともある。

 

だけど、特に精神摩耗もしていない人の時間を搾取するのはやめてほしいなと。

刺激で入金マシーンをつくりあげてどうするんだよと。

 

・・と書いていて、思い出した。

僕はこのキャッチを考えたコピーライターに対して不快感を感じたのだった。

言葉の力を、ダークサイドに引き込むことに使いやがってと。

 

じゃあどう宣伝すればいいのだろう。

『心の疲労を叩きつぶせ』

これだとブラック臭が強いか。

『すり減った心が、もどります。』

これでターゲティングした層から課金するのも気分よくないかな?

でもそれは対価としてとってもいいだろう。ゲームつくるのだって大変だろうから。

 

『暇をたたきつぶせ』

なんだかんだで、課金してほしいユーザー層に響くコピーとしては強いのかもなぁ。

作った側のマインドとしては、

暇を楽しくつぶせたんだから対価を払うのは当然だろうって感じかなぁ。

暇つぶしにゲームを選ぶのは、結局、本人の意思であり責任の問題なのかなぁ..