自分の死をVRで体験するとうアプローチ
今回は、こちらの記事の感想。
北京で最大規模の葬儀場がつくった自分の死を疑似体験できるプログラム。
死後の世界などではなく「霊安室に安置され、葬儀を行い、火葬場に送られる」という即物的なところが、すごく中国らしくて楽しい。
しかし、どういう風にVRにするのだろう?視覚は固定されるのか、それとも幽体離脱するのか。
最後に火葬場に送られるらしいが、焼かれるところは体験できないんだろうな。それだと死の体験というより地獄の体験だもんね。恐いものみたさでやってみたいけれど。
今回の中国のものはすごく即物的なケースだが、「死」は様々なアプローチができるテーマだろう。案外、VRは「死」を物語るデバイスとして大きく成長するかもしれない。死を大きく扱うのは宗教の仕事だから、宗教家がVRをうまく使いこなすことで教義を伝達してもおかしくないし、VRは変性意識状態をつくりだすのに向いていそうだから、宗教家との相性は良さそうだ。
VRを使用した日本のカルト教団がでてきてもおかしくない。いまのところガジェット感が強くて非日常感がないかもしれないが、それは演出次第でもどうにでもなるだろう。