山とコード

「自然」と「人工」がベストに混ざりあった生活を探るブログ。

「自分」を拡張するためのアイディア / 自分がぼやけて溶けるかも?

『明日、機械が人になる』を読んでいて思い浮かんだアイディア。

能では、自分の体が演者と同期し「意識をもっていかれる」という感覚があるらしい。

そのもっていかれる感じを強制的につくる。

結果的に自我の境界がぼやけそう。

 

 

■自分の動きに完全にシンクロするロボット

(か、VRの映像)

リアルタイムで動きをトレースして、目の前でまったく同じふるまいをする。

鏡のように反転しない。

A案:顔と体も自分そっくり

ロボットだったら、ロボット側の自分を見る視線を、HMDを通して自分で見る。

これは完全に混乱しそう。

 

B案:顔も体も別人。

すごく気持ち悪そう。もっていかれる感じはあるのかな。

ところで能の演者は、良い舞ができているときは、

自分が依り代になるような感覚はあるのだろうか。

 

 

■憑依ダンス

ダンス教室。10人くらいで同じダンスを踊っている。

完全にシンクロしていてもいいし、うまい下手で若干のずれがあってもよい。

大切なのはみんな教室の前方にある大きな鏡をみてダンスをしていること。

ダンサーたちは頭にカメラをつけている。

HMDをつけた人間が、ダンサーの誰かの視線にジャックインする。

誰に入ったかは、周りの状況と鏡を見て判断するしかない。

ただし自分では視線は動かせない。

ジャックインは、次から次へとどんどん移動できる。ただし選べない。

自分で視線を操作できないと吐き気がするだろうか?