陰ヨガと身体感覚
歩き方やふるまい、しぐさには人格がでる。
豪胆な人は豪快に歩き、細やかな感性の人は繊細なしぐさをする。
どれが良いかというわけではない。
しかし、自分が望むかたちでふるまえていない人も多いかもしれない。
たとえば、実は繊細なふるまいに憧れる豪胆な人というように。
自分自身のふるまいを意識することはめったにないが、
陰ヨガのあとは自然に体と動きに意識が向く。
ヨガをはじめて4年くらい経つだろうか。
ここ2年はなかなか行けない日が多かったけれど、
それでも途切れることなく続けている。
今日は久しぶりに陰ヨガ。
ひとつひとつのポーズにじっくりと時間をかける。
筋肉の固い人は鈍い痛みと数分にわたり向き合うことになる。
じょじょに鈍い痛みが薄れ、すこしずつ筋肉がほぐれていく。
僕は柔軟性があるほうなので、鈍い痛みを感じることはあまりない。
そのかわり体のゆがみに意識が向かう。
約1時間のクラスが終わったあとは、
手の指先から足の指先まで意識が浸透する。
飾りけのない無意識が、漏れ出ているのが普段のしぐさだと思うが、
陰ヨガで体中に意識を張り巡らせることで、
すみずみまでコントロールできるような感覚が得られる。
ダンサーは常にこういう感覚で日々を過ごしているのだろうか。
体全体が高機能な受信機であり発信機であるような。
うらやましい。世界の感じ方が変わりそうだ。
ヨガやテクノロジーを通して僕も体の可能性を引き出したい。
体の可能性を引き出すことは、
世界との接し方に新しい広がりを与えてくれるように思う。
世界との接し方が増えると、きっともっと生きることが楽しくなる。