ゲームのなかで働くということ
会社のなかで聞こえてきた会話のメモ。
「アークのなかで今日もよく働いたーっていうプレイヤーがいてさ。
実際にちゃんと働けよって思うよね。」
僕はアークというゲームをやったことがないが、
プレイヤーに「よく働いた!」と感じさせる仕組みが気になった。
実利益はでていないのに、働く喜びを感じるのはなんでなのだろう。
それこそ「これからの働き方」を考えるヒントになりそうだ。
予想①
実生活の仕事は分業されすぎていて、なにをしているかつかみにくい。
そのため働いている実感がうすい。
しかしアークではサバイブするために、自分で色々しなければいけない。
予想②
ゲームでは、狩りや道具づくりなど仕事の成功の有無がそのまま生活に直結する。
そして、注意力や想像力も狩りなどの一点に集中できる。
働くことは生きること。生きることは働くこと。
予想③
実生活では、仕事が抽象化されすぎている。
デスクに座ってディスプレー越しに文字と数字を操作する。
社会的意義があっても身体感覚にひびかないため、リアリティがうすい。
生産性を高めるための分業化、抽象化が、
一人一人の仕事と生活の結びつきを弱くしてしまっているのかもしれないという仮説。
多少の効率性を犠牲にする代わりに、
娯楽的に身体性をとりいれるってのはどうだろうか。
遊びとしての仕事ができたら、それはそれで良さそうだけど。
※もちろんそういった無駄がいやな人もたくさんいるだろうが。