山とコード

「自然」と「人工」がベストに混ざりあった生活を探るブログ。

英語、中国語、韓国語を同時並行で勉強してみることにした。

どの言語も初心者なのだが、同時に学ぶことにした。

 

時間とお金を費やす価値があるかはわからないが、定期的に『韓国語 難易度』などとググり、勉強の入り口付近をさまよい時間を無駄にしてきた過去よりはマシだろう。

入り口に入ってからあきらめるなら仕方ない。だけど、入り口の前でフラフラし続けるのは無駄だ。興味があるならやればいいのだ。というより、家庭もなく仕事もコントロールできる今しかやるタイミングはない。

 

この3つの言語を覚えたい理由は単純で、行動範囲を広げたいからだ。アメリカでは、N.Y.からロスアンゼルスまで飛行機で6時間くらいかかる。だから、アメリカ人は、その広大な空間を「自分の空間」として感じているはずだ(もちろん、どこの国にも自分とその半径5mくらいの空間しか興味ない人もいるだろう)。

 

一方、東京からシンガポールまでは飛行機で7時間くらい。N.Y.からLAより少し遠いが、アメリカ人のような広い空間感覚を日本人の僕がもつためには、このあたりを「自分の空間」として感じられたら良い感じだ。

 

そして、そのための手段として中国語と韓国語を学ぶことにした。学習難易度の低さや使用する人数の多さから、インドネシア語も候補だったのだが、韓国や中国ほど簡単に行き来できないので却下。

 

それに、中国語と韓国語を選んだのは「東アジアの美意識」に興味があることも理由の1つだ。この3国の芸術は密接に結びついているが、作品の背景に流れている美意識が似ている場合もあれば、全く異なる場合もある。このふんわりとした感覚的な理解を、もう少し深くしっかりと理解したいのだ。そして、東アジアの美意識なるものを自分でつかめたならば、そこに最新のテクノロジーをのせてみたい。

・・自分でもなにを書いているか良く分からないが、これから20年くらいかけてチマチマとやっていく問題だから、今の時点では課題意識が明確じゃなくたっていいだろう。仕方ないじゃないか、気になるんだから。

 

興味があっても、現実問題として新しく言語を学ぶのは大変なのだが、全く初対面の言葉は韓国語だけ。中国語は、昨年2か月ほどマンツーマンレッスンに通っていたのでピンインと言葉の雰囲気はなんとなく分かる。

来週、韓国語のマンツーマンレッスンを体験予約した。全くの未知だから、どうなるか楽しみだ。「まったくわからん!」といって投げだす可能性だって十分にある。ま、そうなったらそうなったで仕方ない。挑戦できる環境にいるのだから、とりあえず顔をつっこんでみるだけだ。